読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

就職、結婚、出産が博打の時代。

ライフ 病気 雑記

①就職。

そもそも就職というのは、生半可な気持ちでは通用しません。通用するのは20代までかと思います。きちんと本当にその組織に入ってこういうことがしたいというビジョンなりがないとモチベーションの意味で長続きしないでしょう。

ただなんとなく入ってそこから好きな仕事に就くあるいは見つけるという恵まれた人もなかにはいるでしょう。しかしそれでも給料が上がる保証はありませんし、会社の業績が傾くことが可能性としてどれだけ低いかが就職前にはわかりません。

参考までに書きますが、僕が学生時代のころはSHARPという企業は花形企業でした。就職希望ランキングの上位に常に入っている存在。

 

同じように他のよく知られた電機メーカーは10年前は就職希望者が殺到していました。

10年という期間をどう考えるか。もちろんたとえ業績が傾いたとしても優秀な人は転職もうまく行くでしょう。ただそれは一握りの人たちです。10年の間に結婚し、しかも住宅ローンを抱えて家を購入した人は10年後も輝かしい進捗を経ていることを前提としていたらなかなか思うようにいっていないなあと感じている人の方が多いのではないか。

そこで大事になってくるのがなにか”スキル”をえるというものです。これが僕にはよくわからないのです。組織に入ることで身につくスキルは一般職の場合、僕にはよくわかりません。もしそれが新卒後のたとえば10年間なら10年間で組織に入らなければえられないものが絶対にあった、とするとそれはどういったものなのでしょう。僕には対人コミュニケーション力みたいなあるいは営業で成績トップのための資質みたいなのをスキルと呼べるのかどうかという疑問があります。業界のことがよく理解できるというのはメリットですが。

技術職の場合はいろいろ得られたものはあるように思います。数値化できるという意味で。資源が個人では用意できないものが組織にはたくさんありますからそれらから身についたものはさまざまあるかと思います。たとえば僕はSEをやっていましたから、イメージしやすいのですがオラクルというベンダーを例に出せば、そういった大規模なデータベースシステムを操る技術は個人ではなかなか賄えません。それでも僕のようにいったん病気などで組織のそとに出てしまったとしたら、あとはその道を追いかけたいのであれば資格の勉強をするしかありません。しかしたとえ合格しても再就職するのは困難です。なぜなら組織はいつ就労不可がおりるような人は雇いません。ネット環境さえあればできる仕事は全部ネット環境で済まそうと考えるリーダーがまだ少ないのです。今後、精神障がい者の法定雇用率がさらにあがったときに企業が働き方の提案としてそういったものを提示してくれることを希望し続けている精神障がい者はたくさんいるかと思います。今はまだその段階にありません。健常者と同じように出社し勤務しその間に体調を崩してしまうことも考えられるという意味でも僕には博打なのです。



②結婚。


今四人に一人くらいの確率で離婚している人がいるみたいです。ただこれだけ離婚が多くなってくるとそもそもバツイチくらいがふつうになる時代も到来するような気がします。なので健常者の場合はそんなに気にすることはないように思いますが、いくらお金をたくさん稼いだとしても一回無になる結婚生活にどれだけ出費したかとか考えだすとなんだか虚しさが湧くように思えます。もちろんその破たんした結婚生活から学べることもあるでしょう。そのための勉強代だと思えば安いものかもしれません。

 

でも一度失敗しているからそれを教訓にして次はうまく行くという保証はどこにもありません。バツ二になってしまえばなんとなく僕にはああピカソ的な人だなと考えてしまいます。つまりバツ二ならバツ二でも本人さえ気にしなければどうってことないでしょうが、生産性をあげないといろいろ離婚にいたるまでのお金が持たないんじゃないでしょうか。

 

今の時代、①でも書きましたが生産性をあげるのは大変です。特に組織依存だった場合は深刻です。それにバツ二の時点でこどもまでいたらなおさら大変です。一番僕がこれは大変だなあと思うのはこどもがいた場合にそのこどもの心情をすくったりよみとったりするのが大変煩雑になるというものです。もちろんそういった気持ちは一度結婚した相手の親族にまで及ぶので、それらを社会的に挽回するためにはやはり結果としてビジネスでもなんでも業績を残さないと見栄えしませんが大変な忍耐力を伴うことでしょう。僕の場合は結婚生活という何もかもを共有する生活の中で体調不良になってしまって、ちょっとやっぱり一人で生活したいんだけどとなってしまうことも考えられるのが博打と言った要素の一つであり、またそもそも低収入なので結婚相手に同病の人は支え合えなくなる可能性も含めて現実的ではないでしょうし、そう考えると健常者で理解してもらえる人と考えるわけですが健常者は健康な欲があるのでその分のコストを加味する生活を送らなければなりません。それを補えるだけの幸福が二人での生活にあればいいわけですが、そうならない可能性もおおいにある。


③出産。

今、保育園の数が足りないとかいろいろ言われていますが、③では特に統合失調症患者目線で書きます。まずれっきとした事実として統合失調症という病は遺伝が関係してくる要素はあるのです。もちろん100%ではないデータでしたが、こどもまでもが統合失調症になる可能性は僕の場合、確率として高まる。

 

もしこどもが育ったときに健康でほがらかで親思いになれば、むしろ僕の場合、事態が好転するかもしれませんが、それに費やす出産であればかなりの確率でエゴが入っているものとなりますし、もしそういう期待値があるのであればそうならなかったときの落胆は大きいでしょう。経済力のない僕にはいざなにか起こったときに対処できないように思うのです。

 

また健常者同士の結婚の出産であっても、今の日本ではこどもが育ちやすいかといえばそうでもなくいろいろ問題があります。毎月、誰かが義務教育課程の年齢のなかでいじめとかで自殺しています。ですが全部ひっくるめて考えると健常者であってもこどもを育てるお金の確保が難しいのが多くの出産世代の不安や現状ではないでしょうか。つまり全部①に帰結するのです。

 

僕は高度成長時代を経験した両親のこどもです。その時代の両親たちはなんのうしろむきな要素もなく自然と出産を無条件の人生の喜びの一つとしていましたが、そういう風潮を補っていた当時の社会的背景は無視できないでしょう。もし出産したのであれば、上述した価値感を保有している両親に援助をしてもらう、つまり両親とは仲良くしておくのは今の時代大事なように思います。その恩返しは将来の介護で補いましょう。そのときどんな技術で介護が行われるかはまだわからないですが。


④考察。

 結局、統合失調症患者にとって病気になったこと自体がいわば博打の結果なのでこれ以上にギャンブル的な要素を増やしたくないと考えるのは自然ですが問題はいったいどういうふうに今後、ビジョンを立てればギャンブルじゃなくなるのかが今の日本ではさっぱり見通せないことです。
ひとつ願うのは最低でも、無駄な肉体的精神的能力の酷使が苦手な僕のような人にとってフラットな社会にだけはなってほしいというものです。満員電車通勤、ネットでできるのに出社、戦後から続いた軍隊式の上下関係、そういったものは合理的なものからどんどん社会からなくなっていってほしいと思っています。以下の記事でも書きましたが、統合失調症患者はなまけているわけではなく体調がいいときに自分の能力でできるみたされる好きなことで社会の役に立てるのならばそうしたいという欲求はあるのです。

 

risrpd.hatenadiary.com