がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

高橋まつりさんは英雄。

統合失調症である僕からすると、特別好きでもない仕事だったら残業なんてできるわけないんです。

 

残業して稼いだお金の分を近い将来の病状悪化の治療費か、

 

再発防止のためのレジャー的な遊行費に使ってしまうのがオチです。

 

僕は正直、人工知能がこれだけ注目をあびているなか、その知識がほとんどないんですが、要は人間はもっと楽ができるってことじゃないかと思うんですよね。

 

僕がホームヘルパーとして介護の仕事をしていたときに、お年寄りとのレクリエーション時間のなかでの神様的な先輩スタッフがいたんです。

 

その人は一生懸命カラオケとか体操とかそういうのを前面に立ってやるんですね。

 

本人はすごく楽しそうで、それが仕事のやりがいみたいに受け止められるような人でした。実際カラオケは上手でしたし、声も明朗で、笑顔を絶やさずその役割としては申し分のない形容ができます。

 

でも僕はずっと、「そんな職人芸みたいな仕事が施設内にあっては大変だ。この人がいないときあるいはいなくなったときどうなるんだろう」

 

また、「自分にはとてもじゃないけどカラオケとか体操あんなにうまくできないからいざ自分がやるとなったら大変だな」

 

そう思っていました。ちょうどそのさなかに人工知能を搭載したロボットが、介護施設内でのレクリエーション時間に役立っている実例があるというニュースを知りました。

 

実例です。すでに導入されていて、お年寄りの受けもいいというそういうニュースでした。

なんでも、会話に軽妙に答えるし、その反応がみていて面白いのだそうです。

ここからもわかるとおり、自然と人工知能ロボットが普遍化する時代はくるし、またそうなったときにはあのカラオケ先輩スタッフはいらないということになります。

 

身近な問題として、僕は人工知能ロボットが仕事を減らした例をみたのです。

 

電通という会社がどんなふうなのか僕はネットとか新聞とかでしか知ることができないですが、

 

なんとなく体育会系のノリの、いわば”無駄”な要素の多い会社だったのでしょう。

 

頭脳集団ではなかったんだなあと率直に思いました。

 

”ノリ”にかまけて業務量を効率的に減らす努力とかしてたのか疑わしいです。

 

将来的に人工知能が全盛となったときにちょうどその話題が出てる時代に過労死した人間がいたことを将来の人は不思議に思うでしょう。

 

高橋まつりさんは、時代の転換期の犠牲者最後の人だった。

 

そして高橋まつりさんの死は、体力とか気力とか要するに”がんばる”で形容される要素が一切、今後の社会には無駄で、いかに効率を求め、いかに人間の幸せを第一に考えるのかという当たり前のことを身をもって社会に突き付けました。この際、そう考えるのが妥当です。