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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

人を殺めてはいけないという言論だけが正しい。

雑記

今朝、ブロガーのイケダハヤトに対する反論みたいなブログを読んでいたんですがなんか馬鹿らしかったですね。

 

世の中にはいろいろ物事をわかっていない大人が多いなあ、と感じます。

 

そのブログは、イケダハヤトは田舎でフリーランスとして活躍していて旧時代のサラリーマン的働き方を否定しますが私はそうは思いません的な主張で。

 

それはそうじゃないですか。

 

今、現時点でサラリーマンの方がフリーランスより多いじゃないですか。

 

そういう人たちが持っている価値感が社会に影響を及ぼしているのは自明です。

 

よって朝は明るいとかチョコレートは甘いとかそういうナンセンスを唱えているだけ。

 

この世の中で絶対正しい言論、つまり一元で説明できる事象なんて一つもないんですよ。

 

そのあたりのことがわからない大人はなんだかなあと思います。

 

筒井康隆という作家がいますね。

 

『最後の喫煙者』というタイトルの短編小説があります。そこでこういう主旨の記述が出てきます。

 

「煙草を吸わない人間には、二元論が理解できない。」

 

もちろん文脈や作品の流れの中の主旨なので、ダイレクトに非喫煙者イコール二元論がわからない、と主張していると捉えられてしまっては誤解があります。

 

ただ煙草はどうでもいいとして、二元論がわからないというのは、やっぱり知識がどんなにあろうとも、決定的に何か見落としているところがあると言わざるをえないでしょう。

 

あるいはそうではないとしたら、つまりそれを承知の上でのブログでの主張だとしたら、

 

僕は、ああセールス上手だな、と思うだけのことです。まあ案外、みんなそうなのかもしれないですけどね。

 

本音のところでは真理がわかっている。それでもみんなに受けるからあえて一元的な見方をして反論する。

 

それはそれで一つの人の側面ですから、別になんとも思いませんが、もし心底、パフォーマンスではなしに、サラリーマン社会の方が絶対に得られるものが多い!みたいなこと思ってるんだとしたら、ひどいもんですね。フリーランスにはフリーランスなりのサラリーマンにはサラリーマンなりの価値はあります。

 

もしこの世で一つだけ正しいという言論があるとすれば、人を殺めてはいけない、というものだけだと思います。死刑はそもそも誰かを殺めなければなくなるでしょう、安楽死は議論がえんえん続いてもはや議論になりません。これは医学、科学の進展が解決するでしょう遠い将来。

 

みんな怖いだけなのです。フリーランスの人はフリーランス以外の価値が強くなったら不安になる、サラリーマンはサラリーマン以外の価値が強くなったら不安になる。

 

ただその自分の価値がなくなるかもしれないことに耐えられる人間だけが、正確に社会を記述できる。