がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

小林麻央のテレビ出演にみる正負の法則。

昨日の海老蔵の番組みました。

 

小林麻央さんは貴重なメッセージを投げていましたね。

 

「病気になったからこそみえてきたものなんでしょう」

 

新聞などのメディアは神様チャンスをくださいみたいなところをフォーカスしていますが、

 

昨日のテレビ番組の要点はそこじゃない。

 

小林麻央さんは死ぬかもしれないという負と引き換えに、それまでの癌にならずに

 

送っていたかもしれない人生とは違う価値あるものを手に入れたと感じています。

 

それは今こうしている間にも小林麻央さんが実感しているものなのでしょう。

 

窮地だからこそ海老蔵の愛情はより”緻密で正確で無駄のないもの”となり、

 

また小林麻央さんにはそれを理解できるだけの”人間性”がある。神様がプレゼントした

 

ものはそれだったのかもしれませんね。そういったことが

 

描かれていたテレビ番組で他の番組にはないものでした。

 

凡人はああ不運だなあ悲しいなあ自暴自棄になっても仕方ないなあ海老蔵発狂するんじゃないかとか

 

一面的なところしかみない。だから昨日のような番組は凡人では成り立たない。

 

神様チャンスをくださいのチャンスは病気を治すことと直結の一択ではないでしょう。

 

おそらくもうすでにいくつか小林麻央さんに与えているものもあるんじゃないかと思います。

 

負のなかにも正はあります。

 

そういう凡人には気づかない視点を小林麻央さんは知ることができた。

 

正負の法則に誰かがこれは正だとか負だとか決めたものがそのまま正だったり負だったりするわけではないことが、あのメッセージからよくわかったのではないでしょうか。

 

全員がああ負だという。でも本人は本人にしかわからないところでなにか正を負の中にあっても持ち得ている。

 

かつて文学はそういった目にみえないものをずっと描いていました。

 

 

risrpd.hatenadiary.com

 

↑でも書きましたが、これはすべて実存主義という考え方からくるものです。

 

でもそういう名がついてしまうのですから、まだまだこれはニッチ、つまりほとんどの人がそういう考え方をしないからこそついてしまった様式名であり、

 

僕はたまに疑問に思うのですが、かつての誰でもいいですがたとえばドストエフスキーはどういうつもりで実存主義の小説を書いていたんでしょうかね。

 

みんなにそういった考え方を広めたい、そう思っていたのでしょうか。

 

ちょっと話題がずれてしまいましたが、結構大事な観点です。

 

小林麻央さんをそれでもこうしてこんなことを書いている僕も不運だと思う瞬間はあります。

 

その気持ちがないとこういう記事は書けません、書いても価値ないだろうと思うからです。

 

でもどんな人でも負をそのまま負だと思ってしまう瞬間はあって、

それが人間である証なのかもしれませんが、

 

小林麻央さんが少しでも負を知ったからこそ持ち得た正があると知った幸福があるんだ、と僕らが想像することには価値があるように思います。