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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

統合失調症患者の一日の中には必ず波がある、大事なのは耐えるときは耐えること。

長年の僕の経験からいうと統合失調症患者は一日に波があります。

 

なんでもない景色が不快だったり苦痛だったりします。

 

不快は妄想から来る人もいるでしょうが、僕はなんかそわそわするんですね。

 

景色が色褪せていくように、行動のひとつひとつが虚しさを帯びて、それが妙に苦痛なくらい悲しくなってくる。

 

そこで大事なのはその間は耐える術を身につけること。

 

世の中にはありとあらゆる情報とか知識がありますが、統合失調症患者にとって大事なのはまさに時間と一体化する術だったりします。

 

何にもしない練習みたいなタイトルで本を出している小池龍之介という人がいますが、あれを無意識のうちに体得できれば、光はみえてきます。

 

僕の勘と経験なんですが、こればっかりは年月を重ねないと駄目なような気がします。だんだん時間が経ってくるとわかってくるんですね。

 

ああ今がその耐えるときだ、とかそういう感情の境というべきポイントが。

 

でそれを過ぎると自分にとって心地よい時間が流れます。統合失調症患者の人に共通しているのかはわからないですが、僕は苦痛に耐えたあとはうそのように何をしていても心地よい時間が確かに流れるのです。

 

思い出し笑いとかも含めて楽しい楽しい時間がやってきます。

 

でも悲しいことにそれは一日中は続きません。

 

必ず元気がなくなるというか僕の場合、先ほど述べたようになにもかもが虚しい心理状態になってきます。

 

でもこれは考えてみれば健常者にもあるはずなんですね。誰でもお気に入りのミュージシャンの歌だからと言って、歯痛でのたうちまわっているときとかでも心地よく聴けるというのはないように思います。

 

そして僕は一つ確信があるのですが、この波がある状態は、決して悪いわけではないこと、むしろいいことなのかもしれないということです。

 

たとえばスマホゲームが大好きな人が、それを退屈に感じる時間が一日のうちに一回もなかったら、人間駄目になるように思います。

 

どこかでリミットが自然とできるのはバランスがとれている証拠のように思えます。

 

ただ統合失調症患者がその起伏の周期が短かったり、反応が露骨だったりするだけで統合失調症であってもちゃんと歳相応に人間性が向上できると思えるだけでもうれしいものですよね。

 

というわけで僕は昨日も一日、半分死んで半分生き返っていました。

 

今、生き返っているのでこうしてブログなんか書いていますが、明日になればまた戦わないといけません。

 

僕は自分のことを狩猟時代の狩人だと思ったりするときがあります。

 

獲物をしとめて仲間や家族で食べてぐっすり寝た次の日はまたサバイバルがはじまるような。

 

そういうふうに生きるのは大変でもありますがここは一つ正負の法則が健常者よりも小刻みに効力を発揮しているだけと考えて、決して悪いものだと考えないようにするのが大事かもしれません。