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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

統合失調症患者はどこまで謙虚であり続ければいいのかという難問。

正直、僕がこのブログをスタートさせたきっかけのように精神病じゃない人ってもちろんそうじゃない人もたくさんいるんですが、単純な馬鹿も多いんですよね。で、こう書くとイケダハヤトみたいな炎上芸になってしまいますが、

 

統合失調症患者はどこまで謙虚であればいいのか、というのは難問です。

 

ふつうの人でも能ある鷹は爪を隠すとかいうじゃないですか。

 

僕は社会生活で言いたいことというのは一回、自分の中で飲み込んで消化してから言葉を発しています。あるいはその飲み込んでから何も結局言わなかったり。

 

健常者が健常者であることの最大の欠陥は、「思ったことをなんでも口に出すか、態度に出す」ことに尽きると思います。

 

僕が自覚している統合失調症であるがゆえの特性としては、「思ったことをすぐには口に出さない出せない」というものがあります。

 

これってでも、品のある人ならみんなそうしているわけなんですよね。

 

たまたま統合失調症の人の特性が、世間一般でいうところの品ある態度と合致しただけで、なにも考えていない健常者は、そういうことを意識したりもしない。

 

で、何が言いたいのかというと、統合失調症患者が理性を強くしたときに、「相手がどんなに社会的な立場があろうとも立派な人であろうとも、一歩ひいて考える患者の内心に実は自分で自覚している看過しがたい傲慢をみる」というもので、

 

早い話が、そう考えている時点でお前が一番傲慢なんじゃないのか問題です。

 

おそらく芥川龍之介夏目漱石などの統合失調症が疑われた文豪たちはこういう自己欺瞞のようなものに耐えられず一方は死に、一方は厭世になり、そういうことを思い暮らしながら生きていったことと想像します。

 

でもじゃあそこで戦う統合失調症患者になって、世間的に強くなったとしても、それはそれであんまりうれしくないものをみるのも真理のひとつ。

 

というのは統合失調症であろうとなかろうと真に脳ある人間は相手の不作法をただすのではなく、馬鹿を馬鹿としてみた上でそれを最大限自分の価値を高めるために”利用する”からです。

 

このことに気づいていない人間はほんとうに馬鹿だと思います。

 

あえて話を別の方向にもっていきますが、僕はSNSとか新聞とかでさまざまな情報に接するときに、どう利用しているかというと世間には健常者であってもこんなに馬鹿なやつがいるんだ!というカタルシスとは違う一つの価値相対化戦略であって、

 

自分の存在が輝く方向に持っていく発言をする使い方をしているのです。

 

おそらくSNSにしてもなんにしてもこの使い方をしている人は全体の数パーセントもいないでしょう。

 

リア充報告、昇進の報告、趣味報告、いい人だよのアピール報告、知識あります報告、それらはすべて僕の前では、僕自身の価値を高めるための餌なのであります。

 

そういう生き方を教えてくれたのは三島由紀夫です。

 

三島さんはほんとうに誰にも負けたくない気持ちが強かった。

で、簡単に言うと、三島がとった戦略は三段論法でいうと以下です。

 

①倫理が最後に勝つ道理を小説であらわす。

②倫理を指導するだけでは”先生”になるのであえて野蛮なところをみせる。

③倫理的であることと野蛮であることの両輪を成功させたあとは芸術などという一般人には到底理解できないところで命をささげる。

 

これによって、何が達成できたかというと、

 

極上の感性と理性のたどり着く先は死だから、死にたくなかったらあんまりぼんくらなところで醜い競争しない方がいいよ。

 

こういうメッセージがあるのです。

 

で、残念ながら三島を理解していない人間はその点に気づかず、生きている中でさまざまな愚問に一喜一憂しているのであります。

 

特に多少なんらかの知識がある人間にその傾向は強い。肉体馬鹿もなかにはそういうやつがいる。

 

言葉でそれを諭したところで意味がない。

 

だけどその意味のなさに自分の傲慢さをみる。

 

その傲慢さの自覚にたえられないから、僕はやっぱりこれからもなにか書いていきたいと思うわけなんです。