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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

こてこて理系よりもなんちゃって文系の方がファッションがおしゃれな理由。

理系の人の特徴です。理系でその分野で優秀であればあるほど反比例するように身なりには無頓着になります。いわゆる博士の普段着のイメージですね。頭が爆発していて、小太りで、着の身着のままのような服を着ている。

 

でもそんな優秀な人は一握りです。多くのぼんくらな理系の人間は学業以外の面で女にもてようとします。

 

そしてそういうとき、何か指針のような、つまり身に着けるものはどういうものがいいのだろうかという指針を何かに求めるんですが、

 

①高価な服。

②流行っているブランド。

③老舗のブランド。

 

こういうところに目がいきがちです。

 

でもこれが成せるのは大体スポーツ選手とかでしょう。

 

一般人は、あまたある服を買える場所から似合う服をチョイスします。

 

で、ファッションの本質は自己満足ですから、実は上にあげた三つにも正解はあるようでないんですね。一般受けするとかそういうのはあります。

 

でも理系の人間はへんに賢いので、そういう一般受けで90%の回答を出せるような方法で服を着ます。

 

これがまずおしゃれじゃないです。

 

小利口でちょっとおしゃれな人間は、無難な服装の中でちょっとテイストが違うものを上記三つのうちから取り出そうとします。また、

 

大変ものもちがいい人が多かったりします。そういうところにも服の素材の耐久性からの観点からとか考えていそうな感じがします。あと理系発想の得意技はローテーションで着るという発想です。

 

ローテーションで着るよりも、安い服とかアイテムで質より量を高めて、ちまちまイメージを変更した方が、味が出る。以下、文系の人の発想です。

 

①同じものを着るならずっと着る。ローテーションのような規則は用いない。

②安い服やアイテムを結構たくさんもってたりする。あととにかく自分に似合う、という認識しているレンジの幅が広い人が多い。

③高価な服は、質はいいかもだけど、高価な服というだけでダサいという価値感もあるのを認識している。

 

で、そういうところまでみた上で、なにより僕が一番、思うのは服というのを文化だと思っているかいないかという点ですね。

 

理系発想だと完全にCMやチラシやモデルやインスタや、つまり膨大なそれらの影響を発信するものにとらわれてしまいますが、

 

文系発想は編み出すという言葉が似合うかもしれません。

 

自分らしい髪型、服装、分相応のアイテム、それらをさまざまな文化と比較してこそ、自分を表現できるものがある。極端なことを言うと、理系の人間は、あっ太った服が着られないやせなきゃ、となるところを文系の人間は、服を体型に合わそう。そう考える。

 

そうして編み出されたものの、もっともわかりやすい例は、芥川賞を受賞した又吉の、あの今後変えるようにも思えないワンレンパーマヘアーです。