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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

どんな人にも「文化的雪かき」の個人版の役目を果たしている対象がある。

僕は最近、このブログで書いていたように本を買うのが馬鹿らしくなって買ってなかったんです。僕は本を読むのが速いので、聖書あるいはプルーストの本みたいによっぽどの分量でなければ、大体、買って一日で読み終えます。

 

それがなんだか虚しいように思えてきたんですね。

 

図書館に行けば本はあるし、有料のデジタル新聞を読めば付随していろんなコラムも読める。

 

そう思って、ここ二週間ほど本を買ってなかった。

 

そうなってから図書館ではどうせただだからと精読もせず、速読をし、借りずにそのまま置いてくる。

 

新聞は新聞で読むけれど、それはなんだかわくわくするというのとは違います。

 

誰かが言っていたんですが、人間はほんとうにケチな生き物なんです。

 

お金をかけたものにはそれなりにもとをとろうとする。

 

僕はその傾向がすごく強いんですね。図書館本はただだからとそんなに身を入れて読まない。そもそもその本自体の情報が古いのも原因かもしれませんが小説なんかは別にゆっくり丹念に読めばいいわけなんですが、そうできない。

 

いつでも読めると思うといわゆる積読本みたいな位置づけに僕の場合、なってしまいます。

 

で、何が言いたいのかというと、僕はここ三日間くらい歯茎が炎症を起こして調子が悪いんですが、

 

いろんな原因が考えられますが、ここ最近の僕の行動で何か普段と変わったことがあったとすると、煙草を吸う本数が増えた気がする、という変化で、これは僕が本を読む習慣がなくなったからと言えはしないかと自問したんですね。

 

まあ直接的な因果関係は誰がどうみてもないでしょう。

 

でも僕はどんなに最終的につまらないと感じた本であれ、精読しているときはきっと体内のバランス、なんでしょうかホルモンとかセロトニンなどの脳内物質がいいように流れていたのではないかと思ったんです。あるいはこれが真相かもしれませんが、煙草の無駄吸いみたいなのがなくなる。

 

本と格闘しているとき、そんなに馬鹿みたいに吸いませんね。それか余韻を楽しむときも一本吸えばじゅうぶんです。

 

もちろんそんなに毎日、本ばかり買うお金もあるわけではありません。

 

でも大体、今の僕はお金だしても読みたい本というのは最新の情報が載っているものなんですね。古典は青空文庫とかで読むので。

 

そうなってくると本屋の店頭に並んでいる本の中で一冊は読みたいものがあるのにそれをケチっていたのは事実なんです。

 

で、僕はさっき歯茎を殺菌するために塩水でうがいしたり、歯槽膿漏の歯磨き粉で歯を磨いたり、歯にいいと謳われているガムを買ったりしてたんですが、

 

こういうのが本をケチったことによって出てきているものだという考え方を僕はしてしまうんです。これも一種の正負の法則の発想です。

あまりに論理性のないことを言っているわけではなく、どの人間にもそうやって、文化的雪かき(目に見えない利益)を得ている、対象があるように思ったんです。

 

それがはたからみて、やりすぎじゃない?と思えるようなものでも。

 

ある人にとってそれはゲームかもしれない。ある人にとってそれはセックスかもしれない。それは人によってさまざまだと思いますが、僕にとってそれは読書だったのかなと思ったりしました。

 

本は読み終わったあと新しいものであれば売れるので、僕は売りにいきますが、それでも差額で新書を買うお金は発生します。でもそれが僕をガムを買いにいったり、歯茎が痛いというふうにさせないものだとしたら、目に見えない利益だなあ、と思うわけなんです。