読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

社会は二元論の間をただ揺れ動いているだけ。

雑記

図書館に行ってきたんですが、河合隼雄の本を読んできました。

 

で、ぼんやり、立ち読みしていたんですが、ふと、書棚をみわたすとありとあらゆる言説にあふれている中で、自分が宙に浮いているような感じがしました。

 

この状態がいいんだなあと虚しさをかみしめながらしょんぼり家に帰ってきたんですね。

 

絶対正しい価値感なんてないんだなあ、とそう思っただけなんですが、これって結構、虚しさを感じるものなんです。

 

僕は気の合う友達がいないんですが、これは当たり前でふつうの人はある一定の大多数の価値感に合わせて生きている。

 

結婚はした方がいいよとかお金は自分で稼いだ方がいいよとかこどもがいた方が楽しいでしょとかごはんはおいしいものを食べようとか煙草はやめた方がとか、もうあげたらきりがないくらいの正しい言葉であふれているのが世の常です。

 

でも僕は病気でそういう価値感にのっとれなくなった。

 

少し冷たいと思われるかもしれませんが、僕は友達の意見というのを信用したことがありません。

 

それは僕が病気じゃなかったら、思いつくものがほとんどだからです。

 

そして病気じゃなかったら実行しているでしょう。

 

今頃は、ここで僕が書いているふつうの人という定義のままに生きて、それで誰にも後ろ指さされずに生きていたことでしょう。

 

でもそういうふうにはいかなかった。

 

僕が唯一信じているのは、逆説的ですが「何も信じない」という言葉だけを信じている人です。

 

河合隼雄の本は面白かったんですが、良質な知性だけを信じている人は好きです。僕はとうていそういう人間になれそうにもないのですが、好きな人という意味では好きです。

 

ああいう先生と呼ばれるような人たちみたいにフェアさの視点を維持したまま歳をとっていければと思うんですが、僕は結構俗っぽい人間なので、こんな良質さよりも、すごい美人な人と付き合いたいなあとか考えたりするわけなんです。

 

で、美人な人はたいがいお金が好きだから、自分もお金を稼がないとだめだなあとか思って、そうすると図書館から一歩外にふみだしたときにみるなんともいえないうらびれた感じの人たちの仲間入りをしなければならない、つまり当面、大多数の価値感に溶け込まなければならないという覚悟が、僕を憂鬱にさせます。

 

もうできることなら、自分が信じる何も信じないという言葉だけの真実にそってだけ生きていきたい。

 

そうするとやっぱり浮世離れするかもしれませんね。

 

だから僕はドラマとか映画とかで出てくるような美化されたような友情というのは一度も経験したことがないんです。