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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

自分の欠点をユーモアを交えて話せない男は。

欠点をユーモアを交えて話す男はモテる。

 

そうなんだろうと思います。欠点はみんなあるものと思っていてもいざ指摘されるとそのときの気分によってはなんだか落ち込みますよね。

 

でもだんだん歳をとるにつれそういった気苦労はどうでもよくなってくるときがあります。諦念というか受け止めるというか。

 

ちょっと話が変わりますが、『サムスン式仕事の流儀』という本の中でいかに家庭をもっている社員が信頼されるか、つまり出世につながりやすいかが書かれているのですが僕は昔家庭を持っていようが持ってなかろうが仕事できるやつはできるだろ!と心の中でずっと思っていたものです。

 

でも歳をとるにつれこういう独身男の、最悪自分一人だけ養えればいいんだろう?的な発想をしがちなところに会社への忠誠心みたいなものはみないと考えるのは一般常識なのかなとも思うようになりました。

 

僕はぶっちゃけるとまず両親とか甥や姪、姉夫婦など家族には情がちゃんとあります。飼っている犬にもあります。

 

でもそれ以外となると、たとえば友人知人そういった人たちとは平和的な関係を築いていきたいという気持ちはちゃんとあるんですが、その人たちがどういう性格でどういう嗜好でどういう人生を歩みたいかについて、僕は一切何も意見を本音のところでは持たないんです。

 

これは裏を返せば、僕がたとえ友人や知人になにか言われてそれで人生ががらっと変わるというのは今後もありえないだろうというのがわかっているからなのです。

 

それだけ、僕のまわりの小さな社会ですけれども積極的にコミットしている量と質は少ないんですね。

 

そこがもしかしたら僕の最大の人間的な欠点なんですよね。でもこれはいたしかたないのかな、とも思います。僕も発症する前はあれこれ他人と関わっていく中で自分が助けたい支えになりたい俺がひっぱっていくという気概もあったのですが、なんとなく発症して自分の身を自分で守らなければならないとなったときにそういったふつうの人が関与している部分は、優先度がどうしても落ちてしまう。

 

ほんとうに自衛を考えるならば、たとえ少し合わないなというところがあっても家族には支えられてこっちもできる範囲のことはしたいし、友好的な関係は維持した方がお互いにとっていい。

 

僕みたいにある程度はしっかりしている病人はなかなか社会とどの程度までつながるかというのはバランスが難しいです。

 

そしてこれは病人同士なら理解しあえることでもないんです、経験上。

 

それぞれ症状の個人差もあるわけですし。

 

ということであんまり伝わりやすいとは思えない認識している自分の欠点をどうユーモアを交えて話せばいいのかはわからないし、そういうわけで冒頭にあげた一文に一喜一憂できる人は、すぐに対策をねればモテるようになると思います。そうでない僕みたいな人間はただここで書いたような内容をじっとみつめていくしかないのですが保身のためなので別にむなしくはなくやらなければいけない義務みたいなものです。