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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

一等安全な場所から群衆を眺める。

雑記

ああハロウィンが終わってしまいますねー。

 

僕は盛り場などには赴くことがほとんどないんですが、そういうみんなが楽しい楽しいイベントに参加しているのを遠くから眺めたりするのは好きだし、あるいは3.11のときのような震災のときに電車がとまって街で立ち往生している人の姿をテレビから眺めている時間が、頭がクリアになっていく感じがして印象深い瞬間なのです。

 

そういうと意地わるいようにもとらえられそうですが、要はいつなんどきでも冷静に行動したいというおもいがあるんですね。というのもなんか頭が混乱すると病状に悪そうだから。

 

僕は人混みにいるとはやく一人になりたいという気持ちが強いわりには寂しいのもいやだというまことに人間のもつ矛盾的な性格を人並みに所持しているのですが、主体的にそういった場所でエンジョイ、またはサバイバルしたいと思わなくなりました。

 

これは発症してからですね。

 

文章というのは書いている部屋の窓ガラスに砲弾が飛んでくるような場所では書けません。紛争地帯でなんかしらのレポをしている人は、距離的には近くてもなんかしら安全な場所が与えられている。

 

事故を未然に防ぐという言葉がありますが、たとえば登山のことを僕はよく考えます。

 

登山って危険がいっぱいじゃないですか。そのためにいろいろ安全なグッズが日々進化して開発され、登山家はそれらを駆使して、山の頂上にのぼって、達成感をえたりするのでしょうが、僕にはさっぱりその気持ちがわからないのです。

 

こういうなにかと格闘して自分の力を試す的なのは、ヘミングウェイの『老人と海』に集約されている世界観だと思います。

 

これは文学でいいと僕なんか思ってしまうのです。

 

必要に駆られてやらなければいけない危険な仕事っていっぱいありますよね。テロがおきたら、誰かが人質を助けに実際に行動をしなければならない。テロ犯がいる建物の中に飛び込まなければならない。これはわかるんです。でも、なんで山登るの?なんでハンターは獣と格闘するの?そういうのはよくわかりません。ある地域や国をのぞいて、命がけで漁にでなければいけないというのは海賊ものぞいたとしてないように思います。

 

命がかかってくる作業を乗り越えたときに人は称賛され、またその人のやりがい、自己実現みたいなものが出てくるみたいですが、

 

僕は病人だからか、すごいなとは思うけれど、別に尊敬したりはしません。

 

自分の利益がかかっている命がけは、その裏に不純なものもみます。

 

だから僕はたとえ女の子から度胸ないねとか友達や親から男らしくないとか言われたとしても、そう言われている間にですら思考停止に陥らないよう考え続けられるところの一等安全な場所を探し、そもそも危険には近寄らないのです。

 

スリルなんて味わなくても、統合失調症の人生はただふつうに生きているだけでスリリングな人生ですからね。はたからみたらただぼーっとしているだけのようにみえても。