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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

見た目にわかりやすいかわいそうはある意味、幸せだ。

雑記

youtu.be

こういう貧困レポは、多くの人の同情をさそう。ひとりこの動画の中で整形を繰り返しおこなったときの借金を返すために風俗で働く女性がでてきますが、それ以外はなんかしらの事情で実家にいれなくなった人とかの漫画喫茶生活が描かれている。

 

でも僕はこの動画に出てくる人たちをかわいそうだとはあんまり思わなかった。むしろ貧困同士、実家からの家出同士で知り合った友達とかいて、ふつうに楽しそうだった。

 

きっと恵まれない国からきた人が、この動画を翻訳したものを解説されても低料金でインターネットやらシャワーやら食べ物やら飲み物や大きなカバンをドアの外に出していても盗まれないところなどに僕と同じような感覚を感じとるだろう。

 

いうまでもなく貧困という不幸だって、相対的なわけだから、そんなにかわいそうにみえないという意見もありうるのだ。

 

ただ相対的ではなく絶対的にこの人たちより不幸という言い方ができる人たちが社会にはいる。

 

たとえば中央線に飛び込む自殺者たちはその大半が精神病などの病を患っているというデータがこないだニュースであげられていた。

病気、それも精神病は目にみえない病気なので、ほんとうに自殺してしまう人たちは、その苦しみが、この動画のように多くの人に理解されるわけではないのである。

 

つまり苦しみに加え、ここが僕が大きな要素だと思っているのだが、孤独というのもセットになって自殺してしまう。

 

僕はただ単に貧困というだけで自殺する人というのはあんまりいないのではないのかと推測する。

 

もちろん事業に失敗して多額の借金を抱えてしまったなどのケースは除く。

それでも健康であって友達もいて衣食住そろってさえいれば、貧困というのは、何かを買うのを我慢できるだけの体力もあるだろうし、直接的に自殺には結びつかないのではないか。

 

むしろ問題なのは、僕が以下で説明したような文化的雪かき、

 

risrpd.hatenadiary.com

 これの不利益版もちゃんとあるはずなのだ。
目にみえないところでせっせと生み出される苦しみや絶望を抱えている人たちの存在が、貧困レポでは出てこない。

 

貧困は社会現象となっているから多くの人が対策を練ってくれるのに比較して、あまりに個人的な深刻な悩みというのは、少数の人しか社会的な問題の側面としては重要視してくれなく、あっけなく自殺に追い込まれてしまうものなのである。

 

そういう意味で、レポになるくらいの不幸というのは、ある意味幸せな人たちなのである。しかも地方から家出してまだ若くすぐ都会でも友達ができて不安定な仕事だとしても健康上まだ働けてというのはチャンスがこれからまだめぐってくる可能性がある。

 

文化的雪かきの不利益版を被っている人たちは支援されにくいわけだから自分でなんとか価値感の転覆、それこそ、苦痛の快楽のような個人的な発明が必須になってくるが、それは凡人にとってなかなか酷な話ではある。

ちなみに文化的雪かきの不幸版というのは、一番わかりやすい例でいうとキルケゴール『死に至る病』ではないか。