読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

人間は進化の過程で知性がついたと同時に知性が何なのかもわからなくなった。

昔、友達が、ああマーチ(某私立大学群の総称)の女の発想だね、と僕が当時つきあっていた彼女の言動につぶやいていたことがあります。

 

そのころからでしょうか、僕はみんなが欲しがる幸せを求める人をみきわめる術に長けてきたように思います。

 

大多数の平均的な女性はこどもを欲しがります。これは本能です。そのためにはこどもを養っていけるだけのお金と相手にセックスしたいと思わせるための美容とこどもを含め愛情のある家庭内のコミュニケーションのための一般常識が必要です。

 

テレビに出てくるいわゆる美形の女性像は痩せていて二重で小顔でというある程度共通した特徴があるのですが、その共通した特徴を求めて多くの男性も行動します。顔とかスタイルに関しては優性遺伝があげられていますよね。二重が優性で、足が長いのも優性、背が高いのも優性、そういった感じです。日本は世界的にみて劣勢遺伝の人が多いから、優性の特徴を持つ人がモテたりします。デブは健康的ではないからです、健康診断書に脂質異常と書かれてしまいます。本能的に人間は健康に対する欲求が強い生き物なのです。

 

江戸時代の日本の美しい女性像が太っていたり目が一重だったりするのは、鎖国していたから、というのが妥当な気がします。で、そうやっていろいろ考えていくとなんとまあ人間は動物なんだろうって思ってしまいますよね。

この事実を考慮しただけでも知性というのは実は第一義ではないのがわかります。というよりも僕ははっきりこう断言してしまいます。

 

それは、”知性というのはめちゃくちゃあやふやなもの”という位置づけです。

 

知性がはっきりとわかるものであれば、知性に優劣がついてそれがちゃんと遺伝していくでしょう。でもそうはならない。ということは、何が馬鹿で何が賢いのかなんてわからないというのは、実はそのへんを歩いている美男美女のカップルや夫婦をみただけで、上述した内容をふまえるとわかってしまうんですね。

 

で、それがわかったところでなんなのかという話なんですが、そもそも人間は言葉とか文字を発明していなかった。発明したから僕みたいなこんなことを考えることができるようになった。でも発明してから、そういうものがそもそも知性なのかどうかということがわからなくなった。ただそういう話が面白いと思えるようにはなった。

 

僕はそこが大事なんじゃないかと思います。

 

そういう矛盾にからめとられる話を面白いと思えるかどうかで、大げさにいうと人類の平和はたもたれている。