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がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

覚せい剤と知性について。

田代まさしの覚せい剤から立ち直ろうとしている特集番組をみた。僕はこの手の番組が好きで、なんで好きなのかなあと考えると、要は、天国と地獄を両方みた人っていうのが人間的に興味が湧くんだと思いました。

 

それで田代まさしの存在ってなんだろうと考えたときに、これは完全にカタルシスなんですね。芸能界で華やかな時代を過ごしていい生活をしてきたところ、覚せい剤で泥沼人生。

 

暗い暗い生活をしている人からすると、田代まさしはカタルシスをえる対象そのものなんです。人間にはそういう側面があって、僕はそれを否定しません。むしろいいことだと思っています。ただカタルシスをえるだけで、満足できる瞬間があるなら、きれいごとしかない社会よりもよっぽど健全な気がします。

 

蛭子能収が言っていたのですが、SNSには幸せな生活は投稿するな、みんなが見たいのは他人の不幸だから、不幸な目にあったことしか投稿するな、みたいな発言がありました。

 

でも僕は田代まさしの現在をみて、なんとなく不幸だとは思わなかったんですね。割と楽しげな発言もしています。覚せい剤からの更生をめざす団体に加入して、そこで生活を送っているんですが、

 

「お帰りなさいがコカイン買いなさいに聞こえたので今日の僕はやばいと思うので注意したいです。」

 

みたいな発言をしているのですが、その場にいる人は笑えなくても、少なくとも僕は笑ってしまいました。

 

倫理上よくないことだとわかっているのに、どうして自分は笑っちゃったのかなって考えたときに

 

「この人は人生を棒にふってまで、まだギャグを言うんだな」

 

という姿に、中途半端なものをみなかったからです。

 

潔いとかそういう肯定的な言葉は僕も使いません。いっても犯罪者ですからね。

 

もちろん応援もしないし、ただこういう人もいるんだなあと思うだけです。でも僕は昔から、そういうところにしか本物の芸は出てこないんだという道理を知っています。

 

これが受けるだろうと思ってネタ作りをしてそして面白がらせる行為を否定している

わけではありません。ただそれは言ってみれば、ある枠組みの中に限定された笑いであるというのを僕は知っていると言いたいのです。

 

それを知っているからこそ、もっともっと知的でなければならないと日々、自分にも言い聞かせているのです。

 

田代まさしには残念ながら、知性はありません。

 

清原にしても同じです。

 

知性は、覚せい剤をやったとしてもなおそれを超える価値があるものを生み出す場合にのみありえますが、そんな人はそうそういないでしょう。