がんばれないひと。

統合失調症を発症して9年目。1983年生まれ。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。 

情緒を感じる感性とビジネスセンスは、分割すれば両立可能。

あのですね、某カリスマ経営者は、社会にあるあらゆるサービスを最適化しようとしているんですが、僕はよくこういう空想をします。

 

たとえば新幹線に乗りますよね。東北行きの。川端康成はトンネルをくぐると雪国だった、という文章に象徴される感性があったんです。川端康成はおそらく車内にあるサービスには興味をひかれなかった、あるいは比重が少なかったはずなんです。

 

冒頭で、これは文学なんだ、芸術なんだ、というのが溢れていますから、そこでこの車内でどうすれば、もっと乗客が喜ぶサービスが電車会社が提供することができるかというのは、いわば別次元の話なんです。

 

雪国は雪国としてある。でも電車に乗っている人は全員がその景色に心奪われるわけではない。東北にあるもっと俗っぽい消費の対象に心惹かれる人が、むしろ多いわけです。

 

某カリスマ経営者は、どうすれば車内がもっと快適になるかという文章に象徴させますが売れるという観点で移動しているとおそらく雪国という場所から連想するのは、寒そうで嫌だなあという言葉に象徴される、もっと人間の身体的な快楽に付随するものでしょう。

 

でもそれだと世界の半分しか喜びを味わっていない点で実は最適化されていないんですね。

 

それでどうするかという僕の持論は、「一年目はお金がお金を生むようなシステムを考える。二年目はそのお金で風光明媚を味わう。三年目に資本からの利益の仕組みを改善する。四年目は風光明媚に受け身ではなく積極的にコミットする。」

 

これをずっとまわせばいいんです。僕はこの発想のまわし方が一年という長期ではなく長くても三日というスパンでバランスをとるようにしていますが、てこの原理によって、大きく稼いで大きく感動を味わうことはできませんが、充実していないわけではありません。