がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

モテない人だけじゃない、風俗に行く男の隠れた心理。

身もふたもない話をしてしまいますが、性生活も含めた結婚相手との幸せな生活というのは、他人に誇れるという観点でのぞましいものでありますが、

 

巷にあふれる夫婦間のトラブルの多さを鑑みると、結婚してもしなくてもひとりの人間が感じる幸不幸の総和は俯瞰してみると一緒です。あの「神は死んだ」で有名なニーチェは、ただ一人への愛は蛮行である、という言葉を残しています。

 

僕は昔から違和感を抱いているんですが、一人の人間を愛し続けたいという気持ちは本来、人間にはそぐわないんじゃないか。

 

よくテレビとかでみるんですが、妻に先立たれた男が何年かあとに新しい妻といっしょになって、こどもとかが「そっちの方が、お父さんよかったじゃない、死んだお母さんもきっと天国で喜んでいるはずよ。」

 

とか言っていますが、僕はこれ、ずうずうしいと思っています。

 

それを決めるのは死んだ妻であり、今世の中で発言権のない人を都合のいいように代弁している。

 

ニーチェは万人を愛したかった。でも寂しさに耐えきれず、最後は狂い死に。僕はニーチェは風俗に行けばよかったんだという自説があります。

 

ニーチェのような人間はお金だけ持って娼婦と毎年何人かずつくらいのペースで女への愛情を分割する生き方をすればよかった。

 

一見、風俗嬢の方が万人を愛したいという気持ちがある人がいそうですが、現実はただ

お金がほしい、というのが主な理由でしょう。

 

そういう意味でも、この世の中でもっとも合理的な商売は風俗なのかもしれません。

 

男はお金を払って性欲を解消する。女はそのお金で平和主義的にお金を使う。そうやってまわっていっている間であればなんのあとくされもなく人間関係がカチッとうまくはまるんです。

 

そうなんです、なんの”あとくされ”もないんです。

 

そしてどんな娼婦にであれ、行為のあとの”ありがとう”という気持ちを忘れなければ、

むなしさというのはない。

 

むしろ今日もひとつ経済をまわす役目をはたして、なおかつ自分の欲望も満たすことができて誇らしいはずなのに、世間からするとひけめを感じる行為となってしまう。

そこに成熟社会が持つ無駄なプライドを感じてしまいます。

 

でも男と女の関係はそういうのでじゅうぶんです。じゅうぶんじゃないのは子供との関係です。

 

映画『北京バイオリン』のチュンのお父さんは本当のお父さんではありません。でもラストにあれだけ感動をさそうのは、子供が実の子供ではなくいわば借り物でもちゃんと愛が行き届いていたからです。

 

ただ一人への愛があるとすれば、それは前回の記事同様、自分の性的欲求とは遠く離れた場所にある愛そのものでしかないでしょう。

 

世間は馬鹿で、いまだに結婚できない男女をなんとか結婚させようとしていますが、風俗がある以上、問題視すべきはちゃんと子供に愛情が行き届いているかという男女問題よりももっと重要な観点です。

 

結局、男女の幸せというのは、お互いの中で完結していて、社会の向こう側には、あるいは大多数の最大幸福というのにも別に貢献しているわけじゃないですから、そこにむなしさを覚える人間の方が、健気だというのは言えると思います。