がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

「クルーカットはもういかさなくなったわ」。

サリンジャーが書いた『ライ麦畑でつかまえて』の中で、僕はタイトルにあげたセリフが一番好きです。

 

ホールデンの恋人が言うセリフなんですが、あの多感で語るのが大好きで愛情深くシニカルな目で世間をみているホールデンが、このセリフに確かなんの返答もしなかったというのもまた好きなところです。

 

『若者たち』でサリンジャーは、とことんまで、若者が抱ける特権というべき”洗練”をこれでもかというくらいに描写していますが、確か『若者たち』の中で、「そんなんじゃ踊ることもうまくできやしないわ」というので終わるパターンもあったと思います。

 

洗練されているというのが、いかに内面的な精神的なものなのかをよく教えていて、

でも肝心などうすればホールデンみたいになれるのかは教えない。

 

だから態度だけみんな真似をして、それできっと誤解も多かったという、本場アメリカでの位置づけの文学なのでしょう。

 

僕は正直に言うとクルーカットが似合う人は、ずっとクルーカットでいてほしいと思っちゃう人です。

 

映画『ブロークバックマウンテン』のジャックやイ二スもあんなにカウボーイハットが似合う人たちも、少なくとも日本にはいない。だからずっとカウボーイハットを被っていてほしい。

 

映画『グランブルー』のジャンレノも異様なほど丸眼鏡が似合う。僕は服などファッションに関するものを買うとき、「これがずっと似合い続ける体型や中身の人間であったら経済的にすごく楽だな」と思ってしまうんですが、その時点で理想的なイデアなようなものとは程遠いのを実感します。

 

だって経済的なことを考えている時点で打算ですよ。僕は昔から自分の美は他人にしかわからないもの、他人の美は自分にしかわからないものという感覚があって、

 

そんなにそこをコントロールしようとは思わないけどコントロールしてしまいがちになる。自分のわからないところのいい部分を誰かが発見してくれたときに喜びがあるし、また他人のいいところの場合も喜びがある、というのも知っている。

 

外見を固定して長くそのままでいると中身も型にはまってしまって、

こういう性格の人間には好かれるけどとかいろいろ好かれそうな人間まで自分で把握できるようになってしまうのはいかにもつまらない、というのも知っている。

 

僕はつまらないと思いつつ、馬鹿みたいにみんなが思うような印象で、他人の外見であれこれその人を見下すような判断をし、実際はそうじゃなかったという状況に出くわして喜びの驚きを感じていたい。

 

これは一見コントロール下においている壮大な偶然への賭けのようなものです。