がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

文学はニッチを探すビジネスモデル。

みなさん、町田康、好きですか?

 

僕は歌も歌詞も小説も好きです。なんせあの偏屈な哲学者の中島義道にですら町田康は気に入られているし、確かあの石原慎太郎芥川賞評論でものすごく辛口で有名だったかつての文壇の長にすら「新しい感覚の人が現れた」と言わせしめた存在です。

 

最近何しているのとかは全然追っていないんですが、歌も歌っていて「さいごのさばきさいしょにうける」という歌詞があります。これは

 

文学上普遍的なテーマというか真髄みたいなところがあるので記したいと思います。

 

risrpd.hatenadiary.com

ここでも書いたんですが、文学が茂木健一郎が言うように不幸になる方法を書いた

 ものだとしても、それは究極のニッチ戦略なんだと僕は思います。

 

つまり幸福な文学者というのは、現代にしかいない。

 

それこそ村上龍を筆頭に主にテーマが「進化」だったり、こじんまりと世界観が圧縮されてそこにおさまりがよい言葉やストーリーが散りばめられているものは現代に受けます。一言でいうとセンスでしょうか。

 

センスの一言だとあれなんで、ここでは”博学に裏付けられたセンス”としておきましょう。

 

で、近代の、いわゆる教科書的な文学にはセンスとかそういうものよりも、どれだけ不幸を表現できるかがみんなに受けたんですね。

 

売れる、あるいは普遍的に読まれる文学というのも一つのビジネスですから、書く方も

そこを狙うわけなんです。で、どう考えるか。ふつう、一般の人は幸せを目指して生きています。あえて不幸になりたくて生きている人はあんまりいません。

 

理想的な人と結婚するし、理想的な家庭を築いて、最後は孫たちに囲まれて逝去する。

戦後、というのはそういう時代なんです。茂木健一郎やこの記事でいうところの町田康が不幸を表現していると捉えるのは、そういう読者層の背景があるからなのです。

 

とすると文学というのは究極のニッチを探すビジネスモデルなんですね。

 

でもそんなことにとうの昔に気づいていたのがドストエフスキーだと思います。

 

実はドストエフスキーは他の作家よりも現代に影響力という意味で強いものがあります。(村上春樹がどこかで言っていました。確か読者とのQ&Aの本でかな?)

 

僕はそのうちの最も有名なものは”不幸の快楽”という言葉だと思います。

 

面白いようにも怖いようにも、馬鹿なようにも達観のようにも、価値があるようにも無価値なようにも、つまりありとあらゆる見方ができるという、すごい言葉で、ここから先はあえて説明しません。この言葉をきいただけで湧いてくるインスピレーションみたいなのがありますよね。それを大事にすればいいと思うのです。