がんばれないひと。

統合失調症を発症して9年目。1983年生まれ。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。 

LGBTは、マイノリティーではあるが実は理に適ったものであるという説。

なんだかですね、こうもしょっちゅう離婚が身近でもテレビでもあるとですね、

 

そもそも男と女がずっと暮らすというのに実はちょっと無理があるんじゃないだろうかとか思ってしまうところがありまして、

 

男は本質を愛して、女が愛情を愛するのが一般論で、そういう二人がやっていっているとすると男が男らしくなく(あんまり本質を愛さない)、女が女らしくない(愛情を愛さない)ところが必ずある。

 

でもいわゆる男としてのプライドと女としてのプライドはそれらを磨き上げたところにたとえば高位な人、あるいは品のある人から好かれる要素があるわけです。

 

男は極端な話、毎日、ゆきずりの女でも満たされるかもしれません。

 

そういう前提があるなかでの夫婦生活なわけですから、浮気とかまああるんじゃないでしょうか。僕のなかでは、たとえ行動にうつさなくても自分に浮気心が芽生えた瞬間に、自分がもし結婚していたら、制度の限界をみてしまうんですけどね。

 

その点、LGBTの人たちはもちろんなかにはふつうの夫婦と同じようにどっちかが男役でどっちかが女役かもしれないですが、そういう概念自体がなかったとしたら、少なくとも孤独にはならないというセーフティネットとしてのつながりとしては、あんがい、異性同士より過ごしやすいのかもしれない。

 

デビットリンチの『ストレイト・ストーリー』の映画のように、僕はそれでもLGBTよりもさらに、兄弟としての孤独緩和セーフティネットの方が、なんだか絵になるなあと思うわけなんですが。