今朝ですね、最近日付を意識していたことがなかったから、たとえばマイナンバー取りに行ったときも公的な書類に日付を書けずに人に聞いたことがあったんですね。
仕事のときとか人に会うときとかそういう場面でなくても、普段から日付を意識すると
何か生活が向上するかもしれない、という計画性に合理を見出したゆえの発想でアマゾンで時計と入力すると日付機能のある千円未満の時計がわんさか売られているわけです。それもカシオやらシチズンのもので。
通称チープウオッチというらしいですが、僕は今から八年前くらいによくそのときにやっていた仕事で得た給料で、腕時計が好きだったので、大体二万円くらいするものをデザインが気に入らなくなったときとかに買い替えていたんですが、機能とかデザインは当時と同じかそれ以上にチープウオッチは役割を果たせています。
そのときから現代に至るまでの価格破壊されたものって結構あるんじゃないかと思うんです。たとえばテレビなんてそうですね。僕は昔、ブラウン管から液晶テレビに買い替えたいと思って十万するテレビを買った記憶があるんですが、
今、十万出してテレビを買う人はいないでしょう。
それくらい日進月歩で値段が下がっているものは下がっています。
これはひとえに技術の進歩だったり、それらを代替するたとえばスマートフォンとかが
ライフスタイルを変えているからでしょうが、
今後十年で何の価格が下がるでしょうかね。
僕は自動車なんてものもそうなるんじゃないかと思っています。
自動運転やらカーシェアリングやらなにかと新しい付加情報がついてまわりますが、
もし自動運転が実現したら、単純に高い車に乗るというインセンティブがない。
運転する楽しみなんてないわけですから。あとシェアは、それこそ公共のものという度合いが強くなるように思えます。とすると電車に乗るときに「この車両は高級車両か…」なんて考えながら乗る人がいないように合理的に考えると今は馬鹿高い車でも
社会の方のシステムが変わって、高級車がコモディティ化する日も来るんじゃないか。
それであと思うのは、大体、安くて質もそこそこっていう商品は中国製ですね。
時代の流れが庶民にも影響している感があります。いずれにしろ、なんら変化を自分自身がしなくても社会やまわりの方が変わっていくことに面白さを感じるときがあります。その面白さとは、産業が発達して、誰もにおよそ人間らしくない単純労働とかがなくなる日が来るかもしれないという期待です。みんなが創造性のあることをやる社会の実現はそんなに理想的すぎでもない。