がんばれないひと。

統合失調症歴9年。34歳男の雑記です。統合失調症の能力を示すのが目的です。

寂しさと知識は比例する。

 

「孤独」のすすめ (SB新書)

「孤独」のすすめ (SB新書)

 

 

「人と人をかける橋はない。」夏目漱石。

 

人間関係に悩まない人はいない。人間関係に悩むと思考が深くなる。

 

で、結論として、孤独と親和性を保とうというものです。

 

実はこういうコンテンツっていーっぱいあるんですよね。この本では仏教の教えからそれを解説するという形でたまたま出ていますが、宗教評論家のようなこの著者でなくても、ちょっと俗っぽくない要素がある人は誰でもうすうすこの本で書かれていることは悟っていくものです。だから別に読まなくていい、というわけではなしに、そうやって寂しさを抱えた人が頭の中でもやもや思っているものを、ずばっと過去の文献を引用しながら、わかりやすく文章にしてくれているので、再認識させられるというメリットが読書にはあります。

 

ところで現代はこういうタイトルの本のブームですね。SNSやネットでつながりまくりの世の中だからでしょうか。

 

『家族という病』という新書や『ドラゴンヘッド』という漫画などがすぐに僕は類似のものとして出てきますが、この本を読んでいて、はっと気づいたことがあります。

 

それは哲学者や作家や詩人というのは、古今東西どこでも結局、ひとりでいてもそのことに価値を見出せる人が後世に残せる情報を持っている、という一面の真理です。

 

確かに、よく考えてみましょう。テレビをつけると何かが目につきませんか。 そうです、マジョリティの保有物があふれんばかりに出てきています。しゃべり方、服装、笑いどころ、泣きどころ、怒りどころ、こういったものがわんさかあります。

 

一人でいすぎるのをよくないとまるで押し付けているみたいに、マジョリティの価値感がうつしだされますが、

 

これと同じような光景は、たとえばふらっと世間が垣間見えるファミリーレストランとかにいってもでくわします。そこは世間ですから。

 

テレビにいる人たちがそのまんま現実にもファミリーレストランでハンバーグとか食べています。そういうマジョリティは、情報を持っていないでしょう。

 

というのも、この情報っていうのは本だろうがなんだろうがビジネスなんですね。ニッチ戦略やブルーオーシャンがビジネスモデルの前提であるならば、孤独と親和性をもつ、というのはその度合いが強ければ、まさにその後の人生のいわゆる浮世の楽しみを捨てるという覚悟に身を投じた一大ビジネスモデルなのです。

 

松尾芭蕉がすぐれた句を残せるのは、浮世を捨てたからです。

 

まあそこまでならなくてもいいという人は大勢いますが、孤独が創作や自由に生きるためのヒントとなる発想をえる形態の一つであるのは、否めないと思います。

 

仮にマジョリティのような金も友人もパートナーも仕事もなにもかもある人が、貴重な情報をもっていて、それを世にデビューさせることができるほどのものであったら、その人が持っているマジョリティ要素は、きっといつでもひとつひとつのパーツに分解、つまり孤独として分解できるものなのでしょう。