がんばれないひと。

統合失調症を発症して八年目。思っていることとか人の役に立ちそうなことを書いている雑記ブログです。

オナニーの極意。

三島由紀夫という作家をただ単に自分の美学に陶酔して自殺した、つまり美に殉じた人であり、三島の書いた小説に実用性がないというのは深く三島を読み込んでいない人である。

三島の本質は、人間の持つ極限からくる可能性の真実の発見にあるのだと思っている。

あるモテない男が風俗に行くためのお金を毎月計算して支出をやりくりしているとする。そのお金のやりくりの計画に抜けがない。完璧だったとする。二週間に一度必ず一万円風俗に行くだけのお金の余裕があってその生活に滞りがない。

だがあるときその男は風俗に行くお金がもったいなく思うようになった。

二週間に一度使えた一万円を貯めるようになった。

半年ほど経って十万円が貯まった。そのお金で婚活をしようと算段したのである。男は半年の節制でいくらか見栄えのいい男になっていた。婚活は順調に進み、ひとりの、風俗には絶対にいないような美女と結婚の話がでるまでに仲が進んでいた。だが交際生活半年で女が詐欺師だと判明した。

女は金目当てのやり手でうまくお金を男から受けとっては自分の口座に入れていた。そして目標額が貯まると行方をくらました。

男は絶望的な気持ちになり精神的ショックから寝込んでしまう。

財産がなくなり、風俗に行くお金ももうない。つまり慰めてもらえるひとが誰もいない。明日には借金取りがやってくる。そんななか、男は自慰行為をする。明日借金取りがくる瀬戸際でする自慰行為は数十秒でおわったが、快楽はかつての風俗通いのときよりはるかに気持ちいいのであった。そのとき男は

風俗通いの計画にこそ、失敗の元凶があったと知るが、同時に快楽の本質を知るのである。それは予定調和のなかには快楽の真実はないという真理である。‘’本物の快楽は、計算された渦中にはなく、明日も生きられるかわからないとなったときの極限状態にある。‘’男は、また明日生きていく希望が生まれたのであった。

三島ははっきりと、明日ほんとに死ぬかもしれないとわかっている人間は妙に幸福になる、と言っていますが、ふつうの人はそういう状態になったことがないからわからないだけで、おそらくほんとにそうなのでしょう。

死ぬとまではいかなくてもなんかしらの極限状態にある場合の心理は、知っておくといいかもしれません。

本屋の棚卸しバイトに行ってきた。

なんかピッピッとハンディ端末で本のバーコードをひたすらスキャンしていく作業だった。今の食材を扱うお店もそうだけど棚卸しというのは在庫が多ければ多いほど当たり前だけど大変だ。

システムエンジニアをやっていたときDELLが在庫を持たない販売商法をやっているというのが有名なひとつの成功モデルだったんだけど、

在庫があるメリットももちろんあるだろう。これもまた当たり前だけど。

僕が担当した棚はやたらエロ小説が多い棚で、エロを活字に求めるのはほんもののエロだなと昔感じたジャンルは、進化を遂げていて、ちょっと絵本的な表紙になっていました。きっと作者はいくつもいくつもパターンを持って書けるんだろうなあと思っていました。

そういうのってネタに尽きがないですよね。エロ動画が尽きないように要は食とか性は必ず売れるわけなんです。人間の根元欲求なので。

話が飛びましたが、ちょっと疑問に思ったのは僕が行った本屋の棚卸しは、なんかすでに棚卸しの冊数の答えを社員さんとおぼしき人が持っていて、

それとハンディのデータを照らし合わせていました。もうあるんだったらやる必要ないじゃんと思ったんですが、よく考えたら、正確じゃない可能性大の日雇いは、二重チェック要員なのでしょう。

いくつか特徴を列挙しておきます。
・作業で腰を屈ませるのはそれなりに大変。 
・一応ノルマがあった。ここからここまでの棚を五時間内に終わらせてくださいみたいな。でも早く自分のところの棚が終わった人とか社員が手伝ってくれる。
・ハンディ端末の操作自体は簡単だけど棚卸し方法説明5分は短すぎると思った。多分もうなんかいかやりなれてる人が多いんだろう。全部で日雇い三十人くらいいた。
・待ち合わせ場所から作業までトイレ休憩もないのでそのあたり日雇い感あり。
・五時間で4000円ちょっと。
・五時間のうちに公な休憩はなし。

些細なところにある不安と喜び。

統合失調症患者に共通することなのかわからないのですが、

僕は生活の些細なところに不安を感じ、また小さなことに喜びを感じたりします。

ふつうの人は今月は楽しかったとか、もっとうまくいく人だと半年間ずっと幸せだったとかざらにあるような気がしますが(発症前の僕がそうだったので)

僕は発症してからそういった状況が一回もありません。常になにかにびくびくしていたり、またくすっと笑っていたりします。

多分、前にも書いたとおり、薬がないと変な方向にいくのと仕事の不安定さとが相まって、毎日サバイバー状態だからです。

これはある程度、ふつうの人が幸せを今がまんして先送りできる計画性にあるんだと思いますが、

今のこの変化の激しい時代に計画性というのがどこまで有効かは疑問です。多少は計画した方がいいのは当たり前ですが、

計画を練るのに時間をかけるのは、よっぽどその計画に成功に客観的可能性が高い場合のように思うのですが、三十三才の計画は、たかがしれているというか、そんなに目を見張るようなものはないのが通常です。

それでも一歩一歩前に進んでいると信じたいわけなのですが、

うまくいってない、もう少しああできた、まだ改善の余地があると、憂鬱とともに朝、起きるのは悪い状況じゃないのかもしれません。

吉本隆明は、「いいときが悪いとき、悪いときがいいとき」という言葉を残していますが、天才以外の人には真実なのでしょう。

ここででも難しいのはその言葉を知ったからといって、安易に今日は起きるとき憂鬱だったから、また細かなとこに気づけるくらいに慎重に正確に仕事ができるだろうと考えるのは、結局、「いいときが悪いとき」の範疇であることです。

そういう意味で僕の喜びが長続きしないというのはほんとにいやなのですが、いい面もあるから仕方がないと捉えています。

もう組織に属するのは限界かもしれない。

九月を持って今の職場を退職します。並行して九月の頭から本屋さんの日雇いで働く予定です。といっても日雇いなのでまだ一日しか予定が入っていません。でもその不安定さと天秤にかけて、僕はまたいったん組織の外に出ます。

僕は統合失調症患者がどうすれば生きやすくなるかについては何も加担できていないので、せめていろいろ経験してみてきたなかでこういうとこがあった、ああいうとこがあった、という一統合失調症患者目線で良し悪しを伝えていければと思います。

で、早速であれなんですが、僕は形態としては①A型社員、②一般のアルバイト、③障がい者雇用枠とみてきましたが、

どれもある程度、症状が安定していて、能力的にひどく健常者より劣っているのではなければ、どこも最終的に不満に感じると思います。

①のデータ入力は単純作業、②の掃除はリハビリ向き、③の接客販売は、水商売みたいなものです。

合計二年間に渡る僕の組織内の非正規雇用での仕事が終わります。

今後の日雇いか何らかの生き方については追って情報をあげていきたいと思います。

ハローワークの職員にも言われました。仕事が長く続かないのは、職種の問題ではなく、組織にいるからだと。

つまりいる人間にストレスを感じてしまう、と。ただことわりを入れると②の掃除は天職で円満退社でした。
ただ成長は見込めなかった。

今後どう生きるにしても、僕は本だけはよみつづけようと思います。僕は他のものはけなします。スポーツマンにある健全な精神をユーモアがないと言ってけなします。

平和ボケしている幸せな家庭も、いつかオレオレ詐欺にひっかかるんじゃないかとけなします。

お金持ちは俗っぽいと言ってけなし、貧乏節約生活はケチ臭いと言ってけなします。ただ本を読む人はたとえそれがどんな人であっても一目置くのです。

名より実の究極なところは結局、本を楽しんで読めるかどうかだと思います。

統合失調症患者に安定の二文字はない。

あの村上龍も、若いときはいつでも不安だった、と言っています。

統合失調症の不安は言葉にすると、単純に再発の不安とお金の不安だと思います。

例えば薬がどこかへ吹っ飛んだとしたら、薬を病院に取りに行かなければなりません。

そのときに病院に行くまでの間にちゃんと交通費や診察代金に薬代を用意しなければなりません。

そうしないと薬がもらえずにいつかまた再発してしまう。

難しいのは、治療に専念するいわゆる急性期を過ぎた回復期では、再発にだけ気をつけていいわけではなくなる、というものです。

いろいろ人間として成長するための体験、仕事が主にそれにあたりますが、それとの兼ね合いでお金をどう、何に使ったらいいか悩みます。

僕が今、とっている手法は、リアクション金戦術というもので、

あらかじめこれこれこういうことにお金を使いたいから、そのためにこういう生活をして、とか計画しないのです。

そのときジュースが飲みたい、煙草が吸いたい、あれ食べたい、友達と酒飲みたい、たまには女遊びしたいとかそういう、‘’本能‘’に逆らわないようにリアクションしてお金を使っているんです。

僕の持論なんですが、ある程度、人間、年を重ねて、徳みたいなのができてくると、その本能だけにしたがって生きたとしても、なんとか金銭的にはなるものなのです。まあそれは無責任な言い方でもあるので言い換えると、その出費に‘’後悔しない‘’ができるようになる。

汚い話ですがトイレをしたいからとトイレットペーパーを買うのを、贅沢だとは通常思わないですよね。 

そんな感じで、買うものを必需品に、変えていく。

もしお金が足りなかったら、それは徳がたりないか頭がまわっていないか苦労していないかのどれかです。そして買ったものに後悔したら、それは社会勉強代を払ったと考える。

僕は今、金銭的にはギリギリですが体調はいいので、不安に耐えられるだけの力があるのが救いです。

昨夜、思ったこと。

高校卒業以来の友人に会ってきたんですが、

 

興味深いことを言っていました。

 

「知らない他人とは関わりを持ちたくない」

 

それは彼女にするならどういう人?という質問の文脈のなかでの答えだったのですが、

 

これは僕と正反対の生き方だと思いました。

 

要するに何か一緒の体験を共有した人じゃないと彼女候補にはならないみたいです。

 

まあ普通の人はそうなのかもしれません。

 

僕は一目惚れに代表される、いわゆる偶然の出来事に賭けている側面のある人間なのですが、

 

合理的なのは、友人のような発想の方ですね。

 

合理的というか健全というか。

 

合理的な面もあります。

 

それはお水系の店で無駄金を使わないとか

 

いろいろあると思うんですが、

 

一番は面倒な行動に出る必要がないということだと思います。

 

出会いのために行動するのは面倒ですからね、

 

自然に近くにいる人とは自己紹介の必要もないわけですし。

 

で、このあとが僕が言いたいことなのですが、

 

それはそれとして、その人がお水系にはまろうが友人のように健全な恋愛だろうが、

 

人の純粋さは計れないというものです。

 

みんなが勘違いするのはここでしょう。

 

健全な恋愛をする人の方が誠実で純粋なように

 

思えますが、健全な恋愛も繰り返しているのであれば、それは不純になってきますし、

 

お水系の店通いの人は、ひょっとしたら

普通の恋愛は今まで一回しかしたことがなく、

 

店に行くたびに過去のたった一度の恋愛の記憶が美しく思い出されるというタイプの人かもしれません。

 

いずれにしろ僕も、知らない人は嫌だという発想、嗜好にどうやったらなれるか、いろいろ思案してみようかと思います。

 

 

 

 

 

市場の失敗。

大概の人間は真実を嫌う。真実は残酷だからだ。真実VS浮世というものがあったら、

真実の方が尊いはずなのに、

 

ときにその価値観は浮世に相容れないものとなる。そこで仕事の市場では、あなたはどういうふうに生きたいかそのビジョンを訊いてくる。

 

ことわりを入れると、一部の会社を除いて仕事とか会社は真実を求める人の自己実現の場とはならない。

 

真実は美的価値を要求してくるからだ。

 

美的価値と営利の両方を実現している人間は、存在しない。

 

美的価値の美が美であるゆえんは、それが浮世に対する反作用の価値観を持つことによる。

 

会社で働いている人間の価値観と同じ価値観しか提示できないのであれば、それは価値が低い情報の真実なのである。

 

経営者は、一部のエリートを除いて全員、こういう構造に気づいていないかあるいは鈍感なのだ。

 

自分の手腕が、常に美的価値を持っていると誤解している。

 

哲学者よりも経営者の方が多いことこそが、

 

語源の意味の市場の失敗ではないか。

 

真実は常にマイノリティ側につくというこの事実を、

 

悲しく思うのは間違いか。